友情航海

〜追いつけないメリーゴーランドあるいは雨降りのローラーコースター〜

鏡を見る才能

鏡を見るためには、何はなくとも視力は欠かせません。

 

なぜなら鏡は、聞いたり嗅いだり味わったりするものではなく、「見るもの」だからです。

 

また鏡は、ちょうど人の胸の上ぐらいの高さに設置されていることが多い。

 

これは、人間がコミュニケーションにおいてひときわ「顔」に注目するという習性に基づくものである。

 

つまり、鏡を見るためにはある程度の身長が必要ということになる。背が低くて鏡が見られない、などというのは論外だからそのつもりで。

 

 

あなたが視力を持ち、なおかつ鏡を見るに足る身長であれば、あとはそれほど難しくありません。

 

鏡というものは、それが鏡の性能ですから当然といえば当然ですが、見る者の姿をその本人に提示してしまいます。

 

通常、手足などはともかく、自分の顔は自分で確認することができません。そのため自分では自らが器量が良いと思っていたが、実際は全くそんなことはなかったという事例はすでに世界各国で報告されています。

このような勘違いを未然に防ぐために鏡は開発されたのですが、やはり鏡を見ることに抵抗を持つ人はまだまだ少なくないようです。

 

自分の顔が、思っていたのと違っていたらどうしよう?似合うと思って買った服や鞄をもう身につけられなくなるかもしれない…そんな不安な気持ちはよく理解できます。

 

しかし、人間とはいかなる形であろうとも自分の姿を正確には認識できないもの。思い出してみてください…スプラッター映画で飛び散る内臓や脳髄に嫌悪感を覚えていても、自分の体内には同じものが存在しているのです。普段それらは骨や皮膚によって包み隠されている以上「露悪」という表現は適切ではありませんが、私たちはみな吐き気を催す肉脂の入った袋を日常的に持ち歩いているのと同じなのです。

また誤解されがちですが、顔といえども人体を構成する一器官に変わりはありません。それがたまたま人目につく位置に設置されているから美醜の判断要素も兼ねているだけであり、もしも人体の構造が少し違って脊椎や肋骨に顔のパーツが埋め込まれていたと考えれば、まぶたが一重だとか二重だとか、鼻が低いとか高いなどということは実に瑣末な問題にすぎないではありませんか。それは今の私たちにおいて、人より小腸が長いとか、横隔膜の張りが良いとか言っているのと同じなのですから。

 

そのことをわきまえれば、鏡を見て自分の顔を認識するのもそれほど億劫でなくなるでしょう。顔は器官。そのことをよく覚えておいてください。そうすれば、自分の顔が重油煮しめたスケベ大根や核戦争後の世界で掘ったどこにもつながっていない落とし穴みたいだったとしても、甘んじて受け入れることができると思います。もし自分の顔の造形が気に入らなければお面をかぶればよいのです。

 

 

鏡を見る才能。

 

鏡に映るものが全てとは限らず、鏡に映っているからそこにあるとも限らない。

 

鏡を正面から撮影することは可能か?

 

ゼロを割ることはできても、ゼロで割ることはできない。

 

白で塗りつぶすことができないというのは思い込みだ。

 

人は一人でも生きていける。

 

目覚めろ