心のカステラ

私は心にカステラを持っている。いや、飼っていると言うべきかーーー。

 

カステラに性別があるのかどうか、私にはわからないが、どうやら彼らは一定の法則に従って増殖しているようだった。だから私の心のカステラは減ることがないし、それによって私は今日まで生きてこれたのだと思う。

 

私は生まれつき病的に精神が脆弱だった。生まれて一年も経たぬ時分、母と父による口論(もっとも、それはほんの小競り合いに過ぎなかったと今では聞いているが)を目の当たりにした私は、言葉の意味こそわからなかったもののその張り詰めた空気にあてられたのか40℃の高熱を出し、一週間近く生死の境をさまよった挙句、ようやく容体が落ち着いてきた頃にはなぜか汗をまったくかかなくなっていたという。

この一件以来、両親は私の前では一切喧嘩することはなくなり、互いが互いを腫れ物に触るかのように扱っていたのだが、それでは立ちいかなくなったのか私が3歳の時に離婚した。両親は子の私から見てもあからさまに相性の悪いカップルで、真偽は不明だがおそらく婚前妊娠で仕方なく結ばれたのだろうと私は思っている。

 

それからの人生は、家庭、幼稚園、学校、そして仕事場、ああ、思い出したくない。具体的な例を挙げればきりがないが、それをわざわざ伝えるのは通り魔のようなものだ。とにかく、私はカステラなしでは生きられなかった、それさえわかってくれれば十分だ。

 

今も私は、信号のない道路を渡ろうとするが誰の車も止まってくれない時などにカステラをつまむようにしている。もう味なんてしやしない。カラメルのこびりついた、かき壊したかさぶたのようなべたつく紙が体じゅうを覆っている。私は糖尿病になるかもしれない。目が見えなくなり、足を切断しなければいけなくなるかもしれない。

たった一台、私のために止まってくれた車に会釈をして通りを横断する。だが本当はそんなことがしたいのではない。その車に飛び乗り、運転席を強奪しどこまでも駆けていきたい。この世の果てにあるという大滝を、私は見に行きたいのだ。