友情航海

〜追いつけないメリーゴーランドあるいは雨降りのローラーコースター〜

静物たち

土曜日の午後、私は娘を連れて静物園に行った。コインロッカーみたいな巨大な券売機でチケットを買うタイプの古き良き静物園だ。料金表にはこう書かれていた。一般六百円、中学生二百円、小学生以下のお子さま無料。二十名以上の団体さまは割引あり。娘は小学生以下のお子さまなので私たちは一人分の料金で入園することができた。

園内に入ると、決まったルートに沿って展示されている静物たちを見て回ることになる。私たちが普段見たり使ったりしている日用品としての静物たちが、今やその役割を失い、物々しいケージやガラスケースの中に閉じ込められているさまはなかなか見ものだった。しかし、貴族の寝室のような大層な装飾が施された空間に1.5リットルボトルのコカコーラがでんと置かれているのを見たときは、さすがにやりすぎだと思った。いや、やらなすぎ というべきか。もしもこの空間に置かれているのが辞書とかホーロー鍋とか、最低でも長靴あたりであったならそんな風には思わなかっただろう。1.5リットルのコカコーラには、そういった物たちにはない特別の異様さがあったのだ。娘は喉が渇いたと言い出す始末だった。

静物たちの中には私たちが日常目にすることのない、まさしく「静物」としか言いようのないものもあって、娘はそういうものの方を気に入ったようだった。彼女はトランペットをひっくり返したような形の静物にひときわ心を惹かれ、何十分もかけてあらゆる角度からそれを眺め回していた。もちろん娘は、子猫やしゃべる太陽が登場するクレイアニメなんかを見るような目でそれを見ていたわけではない。ケージの周りを六十周もすると娘はようやく気が済んだようで、私のところに戻ってきた。

娘の汗を拭きながら先に進むと、さらに奇妙なものが見えてきた。大きなガラス張りの部屋の中に、一組の男女が対面する形で座っている。二人とも見慣れない柄の麻服を着ていて、皮膚はやたらと黄色っぽい。たまに頭をかいたりするくらいで、彼らはほとんど動こうともしゃべろうともしない。

娘は不思議そうな面持ちで二人を眺めていた。どうして生きている人間がここに? という表情で。確かに彼らは生きていた。死んでいるわけではなかった。でも、それ以上に、静物的だというほかない存在だった。

彼らのことは娘がもっと大きくなってから説明すればいい。そう思って私は彼女の手を引き、その場から立ち去った。

あとはもう取りたてていうべき展示は何もなかった。出口近くにベンチと売店があったので私たちはそこで一休みすることにした。娘は先ほどのことからかコカコーラを飲みたがった。私はコーヒーを飲み、娘が残したコカコーラを飲んだ。少し腹も減っていたので売店でフランクフルトも買った。それすらも静物的な味わいだった。

こうして私たちの週末のひとときは過ぎていった。これで入園料六百円なら安いと思った。うちの近所にあるプラネタリウムの入場料も六百円だが、そこの星空ときたら、設備が老朽化しているうえ何十年間も同じプログラムを上映し続けているだけで、もはやうがい薬のCMか何かと同等の情緒しか持ち合わせていなかった。それに比べれば、いや、そんなものと比べるのは失礼な話だが、実に有意義な金と時間の使い方ではないか。

 

次の土曜日、私は娘にせがまれて再び静物園に行くことにした。ところが何か様子がおかしい。以前にはなかった活気と喧騒が園内に満ちあふれている。驚くべきことに、一週間のあいだに静物園は動物園に姿を変えていたのだった。チケットだって今は人間が手売りしている。一般八百円。娘は相変わらず無料で入園できたが、私が入園するためには以前より二百円多く支払わなければならなかった。

そうして入った動物園は、やはり動く物たちであふれかえっていた。彼らは値上がりしたチケット代二百円分のはたらきを全うしようといわんばかりに動き回っていた。暑苦しくてしょうがない。

娘はもう以前のように一つの展示を食い入るように見入ったりはしなかった。コカコーラも欲しがらない。無理もないことだ。私だってもうここでフランクフルトを食べようとは思わなかった。この動物園でフランクフルトなど買おうものなら、それは芋虫のようにのたうちまわり、地面を這ってどこかに行ってしまうだろう。